高野山へ満願報告   奥之院へ

こんにちは。



本日は、オスロで「ムンク」の絵を鑑賞です。




「高野山 奥之院へ満願報告」

        ありがたや 高野の山の岩かげに 

                大師はいまだおわしますなる



平成27年 弘法大師空海の手で、密教の道場が開かれてから1200年目。

奥之院は、高野山信仰の中心であり、弘法大師様が御入定されている聖地です。

一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、

祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。



奥の院地図



「奥之院前」の信号機のある場所から入場いたします。

こうや君も出迎えてくれてます。

私たちは、奥之院がメインですから、ここから入りますが・・・・・「一の橋」のバス停がある所からの方が良いと思います。

数多くの戦国武将のお墓が点在していますから・・・・(小さい時から何回も高野山には来ていますが・・・あまり覚えがない)

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手水舎です。

紋が二つありますね。一般家紋は、ひとつですが二つで宗紋とされています。

「五三の桐」と「三頭左巴」。  「五三の桐」は鎌倉時代後期より、皇室の紋所として使用されていますね。

空海・佐伯真魚は讃岐国の豪族である佐伯直田公の3男として生まれました。巴紋は佐伯家の家紋でもあります。

後に天皇から弘法大師の称号を下賜された時に一緒に天皇家の家紋である5・3の桐紋も頂かれたとあります。

それからこの二つの紋が宗紋として定められたのだそうです。

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石灯ろうが綺麗に整列された参道を進んで参ります。

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ロケットの慰霊塔もあります。  新明和工業株式会社の墓碑です。

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コチラは日産自動車ですが、色々な企業の慰霊塔が並んでおりました。

各企業らしい慰霊塔で、見たら分かるような・・・

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この分岐点で左折します。

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この扇形のお墓は・・・確か・・・・花菱アチャコ句碑です。

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芭蕉の句碑って、真ん中の石かしら?

このお墓が立ち並ぶ参道に入ると、多くの団体さんがあっちこっちで説明をしていて、隅っこを歩いたり・・・・すごい混みようです。

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加賀前田利長夫人のお墓です。 参道の反対側には利長公のお墓があります。

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見た通りのお墓でございます。

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正面から見てみます。  法然上人大師のお墓です。

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安芸の浅野家のお墓です。

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結城(松平)秀康及び同母霊屋です。

慶長12年(1607)徳川家康が次男秀康のために建てた(重要文化財)ものです。

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肥前島原 松平家のお墓です。

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この階段を登ると・・・豊臣秀吉のお墓があるのですが・・・・・素通りしちゃっていくのです。時間がないので・・・

近くには織田信長のお墓もあったのに・・・・・・

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奥之院 御廟橋からは、写真撮影禁止なんです。

って言うか、すごい人で写真撮るヒマがないの。 少しでもボーとしてると皆様からはぐれて迷子です。

歴代天皇陵もあり、奥之院の中はすごい混雑してますが、弘法大師様の御入定された所まで拝顔できました。

御廟橋の橋板は37枚です。金剛界37尊を表しております。

弘法大師御廟(国史跡史蹟)。燈篭堂は仏教寺院には珍しい拝殿の形を持ち、その最奥部に弘法大師廟が祀られています。

燈篭堂正面右奥には石田三成が母のために建てた経蔵(国重要文化財)がある。空海は835年3月21日、

62歳の時生身のまま定入したという伝説があり、五穀を絶って即神仏となり、高野山で永遠に生き続けているのです。

その大師のそばに眠り たいという願望が、奥の院を今日見られるような壮大な菩提所にしたと考えられるそうです。




お参りを終えて・・・・水向地蔵様です。   ここからは撮影しても大丈夫です。

先祖の冥福を祈るため、経木を供え、浄水を手向けます。

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この建物には「ご休憩所」と書かれておりますが・・・

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散華です。  この日は午後4時から奥之院燈籠堂にて、1200年記念大法会「萬燈会」がありました。

その時に頂いたものです。蓮華を模っている形のものです。

散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ、道場を清めて仏を迎えるためとされるとのことです。

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こうや君です。

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次は、宿坊 天徳院です。 

つづく・・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛




ご朱印です。

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高野山へ満願報告  宿坊「天徳院」

こんにちは。



本日の予定は、第一の目的地でしたフロム鉄道に乗って「フィヨルド観光」です。

どんな景色が待ってるのか、とっても楽しみです♪




高野山へ満願報告  宿坊「天徳院」




天徳院は、高野山のほぼ中央、総本山金剛峯寺の目の前に位置し、山内唯一、重要文化財の庭園を有し、

書院造りの和室から、風光明媚な四季折々の眺めを堪能していただける宿坊寺院です。

工夫を凝らした精進料理、凛とした空気の中で行われる朝の勤行、緩やかに流れる時間…楽しみな宿坊です。

元和8年(1622年)加賀百万石・前田家三代利常公夫人珠姫(徳川秀忠二女・千姫・徳川家光公の妹君)の菩提所として建立。

『天徳院』とは珠姫の戒名です。

本尊は白河法皇第四皇子覚法親王の尊信せられし「山越の阿弥陀如来」。兼好法師ゆかりの寺でもあります。

五代綱吉公生母・桂昌院殿により、赤穂浅野長矩と四十七義士の位牌も祀られております。




三門です(入口)。

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門横に前田家の剣梅鉢の御紋が入った提灯が立ち、

壁にはその昔学寮の寺院であった由緒を表わす5本の白いラインがはっきりと残っています。

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この建物は・・・・分かりません。

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三門と玄関が見えます。

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玄関から見えた境内(庭)です。

左手から、朝の勤行をする本堂、真ん中が、玄関から重要文化財の庭園、お部屋へ行く廊下、右手が玄関となります。

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こちらがお部屋です。

ここまで来るには、なが~~~い廊下と階段を歩いて、お寺さんの端っこまできます。

長い歴史を大切に守られてきた建物ですから、スーツケースは浮かして運びます。

決してローラーを使ってゴロゴロしてはいけません。

庭園を取り囲む総檜造りの書院風和室かと思ったのですが・・・・・窓を開けたら自然の山の風景でした。

部屋にカギはありません。お茶とお茶菓子はあります。バスタオルはありません。後の諸々は最低限あります。

洗面所、トイレは共有で、大浴場がございます。

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本堂の扁額なのかしら?

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こんな絵の描かれた戸がございます。

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この戸をくぐると、国の名勝指定・重要文化財の認定を受けている庭園です。

書院の南側に開けた庭園正面の山畔には天徳院(珠姫)の墓地があり、

東側の総檜造り客室からは違う角度での鑑賞ができます。  このお部屋に泊まりたかったのですが・・・・

枯滝です。庭園の真ん中にあり、その上の方には天徳院のお墓があるようです。

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小堀遠州の作庭で、 山裾を築山として枯滝を組み、池水に浮石と鶴亀二島を持つ蓬莱山水様式になっています。

春の桜に始まり、馬酔木、石楠花、躑躅、菖蒲が順に咲き、秋には竜胆、紅葉、そして冬景色と、

季節ごとに違った魅力が味わえます。

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上の方に鳥居が見えます。この庭園(池)の中には鶴島と亀島があります。

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1660平方メートルにも及ぶ庭園は、宿泊者以外観る事ができません。

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では、精進料理の夕食です。

仏教では戒律五戒で殺生が禁じられている為、野菜や豆類、穀類を工夫して調理した料理が精進料理です。

しかし、「殺生をしない」とは、「その素材を無駄なく生かしきる」と言う意味でもあり、心をこめて調理したものをおいしくいただき、

心身の滋養とする。食事も修行の一つなのです。

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御膳ごとにアップしてみます。

何十種類もの旬の野菜と、乾物・海草、貴重なたんぱく源である豆類・豆腐をふんだんに使ったお料理です。

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胡麻豆腐がとっても美味しかったです。

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朝食です。朝食前には朝の勧行が6:30から本堂でございます。

鳥のさえずりも清々しく安らぎの朝を迎えられます。

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集合時間には早かったので、近くを散歩してみました。

この周辺には金剛峰寺があり、昨日から秋篠宮殿下と妃殿下の紀子様が泊まられておりまして、警備員が大勢います。

天徳院の隣は、高野山大学です。

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高野山大師教会です。

大講堂は大正14年(1925年)、高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、

脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。

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アップしてみます。

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では、次は・・・・・・・金剛峰寺です。

つづく・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛






世界遺産 高野山  壇上伽藍 その1

こんにちは。



12日、本日は・・・・ノルウェーのベンゲル地区観光して、デンマークへ移動します。

市内で自由時間「で昼食もします。どうしようかな・・・・・・悩みますねぇ~~~





「世界遺産 高野山  壇上伽藍(だんじょうがらん) その1」



まずは、地図を・・・・・・\マークは拝観料がいるのよって事です。

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壇上伽藍の敷地図も・・・・この地図だと分かりやすいです。

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弘法大師が都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことは、

弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられたとの事。

その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたそうです。

三鈷を求め、手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた異様な姿をした一人の猟師にあったそうです。

猟師に導かれ、一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、

さらに山中不深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があったそうです。

総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。

高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。




中門(ちゅうもん)です。  金堂の正面手前の一段低い所に、そびえる五間二階の楼門です。

高野山開創1200年を記念して170年ぶりに、この度再建されました。

持国天像・多聞天像・広目天像・増長天像の四天王がまつられています。

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表(外側)の四天王様は・・・

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中門をくぐって・・・後ろを振り向いてみます。

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この位置から四天王様をアップしてみます。

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もう一人の四天王様は・・・いつものアレです(汗)

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正面には、金堂(こんどう)です。

高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれています。

安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たし、現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成しました。

梁間23.8m、桁行30m、高さ23.73m、入母屋造りですが、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、

耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されました。

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根本大塔(こんぽんだいとう)です。   金堂の右手にあります。

真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立され、多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、

本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、

16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、

四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

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現在の大塔は昭和12年に建立、高さ48.5m、拝観料200円だそうです。

大きな胎蔵大日如来もすごいですが、16本の柱もすごかったです。

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金堂を横からとってみましたが・・・

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大塔の鐘「高野四郎」だそうです。

現在の銅鐘は天文16年(1547年)に完成したもので、直径2.12メートルの大鐘で、

日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになりました。

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御影堂(みえどう)です。

お大師さまの持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。

桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形造りで、堂内外陣にはお大師さまの十大弟子像が掲げられています。

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正面から撮ってみました。美しい建物です。

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三鈷の松です。

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説明はコチラをどうぞ。

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鐘楼です。

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准胝堂(じゅんていどう)です。

本尊の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられています。

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根本大塔を後ろ側から見てみました。

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金堂の後ろ側を見てみました。

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後ろと言ってもすごく重厚な建物です。

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石灯籠がいっぱい整列しております。

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准胝堂と孔雀堂です。

孔雀堂は、東寺長者延杲が孔雀法を用いて雨を降らせ旱魃に苦しむ都を救ったことに対して

後鳥羽上皇はこの堂を建てて報謝しました。

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やっぱりこの大塔は目につきます。

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このお社は、山王院(さんのういん)です。

御社の拝殿として建立され、両側面向拝付入母屋造りです。

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では、次は、壇上伽藍 その2です。

つづく・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛




世界遺産 高野山  壇上伽藍 その2

こんにちは。


本日は、ノルウェーベルゲン観光後、デンマークに移動いたします。

フィヨルドクルーズも天気に恵まれて良かったです。




「世界遺産 高野山  壇上伽藍 その2」



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壇上伽藍の後半を・・・・・


山王院と赤い建物は御社です。

山王院は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造りの建物で、桁行21.3メートル、梁間7.8メートルあります。

山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味です。

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六角経蔵(ろっかくきょうぞう)です。

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、

紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

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経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。

この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。

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この金具で支えてるんですね。   結構、回すのに力がいりますよ。

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赤い太鼓橋に大きな池が道路沿いにございます。   蓮池(はすいけ)です。

干ばつに苦しむ人々を救うために善女竜王像と仏舎利を祀った池です。

1771年、瑞相院慈光というお方が善女竜王像と仏舎利を寄進し、蓮池の中島に小さな祠を建立しました。

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ここを通り・・・・

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これは、何かしら??  秋篠宮殿下と妃殿下の紀子様ご礼拝のために使うものかしら???

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階段を降りまして・・・・

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愛染堂(あいぜんどう)です。

建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。

本尊は愛染明王で、後醍醐天皇の御等身といわれています。

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大会堂(だいえどう)です。

鳥羽法王の皇女である五辻斎院内親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。

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正面から・・・・現在では法会執行の際の集会所的役割を担うようになりました。五間四面のお堂です。

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不動堂(ふどうどう)です。

1197年、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王というお方が発願され、行勝(ぎょうしょう)上人によって建立されました。

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お堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠(こうしょう)がそれぞれの随意に造ったためと伝えられています。

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三昧堂(さんまいどう)です。

済高(さいこう)座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、

「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。

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東塔(とうとう)です。

1127年、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建されました。

天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。

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手水舎です。

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蛇腹路(じゃばらみち)です。

伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道を「蛇腹路」と呼びます。

高野山はお大師さまが「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、

壇上伽藍を頭として現在の蓮花院までを龍が臥している形に例えたのでした。

そして、ちょうどこの小道が龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになりました。

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六時の鐘(ろくじのかね)です。  高い塔が鐘です。

高い石垣にある鐘楼は、福島正則公が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618年)に建立されました。

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では、次は・・・・・・・金剛峰寺です。

つづく・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛






世界遺産 高野山  金剛峯寺 その1

こんにちは。



本日の行程は、コペンハーゲンの観光です。

夕食は自由行動で自由食。

チボリ公園に行こうか?   イルミネーションは22:30過ぎにならないと暗くならないし・・・・

ショッピングに集中するか・・・・・悩みますねぇ~~~~

「ロイヤルコペンハーゲン」なる物もございますし・・・・・





「世界遺産 高野山  金剛峯寺 その1」


「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』というお経より名付けられたと伝えられています。

東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。



主殿は写真撮影等禁止でございます。

奥殿にて、秋篠宮殿下と妃殿下の紀子様がご宿泊していたらしい場所でした。(5月20日)

赤字の→が見学順路でございます。

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正門です。

金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っています。

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石柱です。

昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。

高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したのです。

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手水舎です。

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「五三の桐」と「三頭左巴」。 

空海・佐伯真魚は讃岐国の豪族である佐伯直田公の3男として生まれました。巴紋は佐伯家の家紋でもあります。

後に天皇から弘法大師の称号を下賜された時に一緒に天皇家の家紋である五三の桐紋も頂かれたとあります。

それからこの二つの紋が宗紋として定められたのだそうです。

右のほうを見ますと小さな入り口があります。このくぐり戸は一般の僧侶がもっぱら使用しています。

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門の前にあります、この水桶は・・・・・・

この門をくぐる事が出来たのは、天皇、皇族の方ですから・・・歩いては通らないわよね。

とーーなると、牛車で通るのよね。  お牛さんのための水桶なのかな???

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では、こちらは・・・・????  何のためかしら??

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巴の家紋の上には、三鈷杵(さんこしょう)の旗はたなびいております。

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主殿です。

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主殿の右手側です。  大玄関と小玄関(一番右手)です。

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アップしてみます。   こちらは、大玄関です。

ここは金剛峯寺の表玄関にあたるところです。先の正門と同じく天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。

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こちらは、宗務所です。  宗務所の隣(隠れてますが・・)小玄関になります。

高野山では上綱職の方々が使用され、一般の僧侶は、昔は裏口より出入りましたが、現在は一般参詣入口を利用しています。

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屋根の上には、天水桶(てんすいおけ)がございます。

金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっています。

普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、

少しでも類焼を食い止める役割を果たしました。

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この彫刻は、どこのものでしょうか??  記憶にございません。

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経蔵(きょうぞう)です。

1679年3月、大阪天満の伊川屋から釈迦三尊と併せて寄進されたものです。

経蔵は重要なものを収蔵するところなので、火災が発生しても安全なように主殿とは別に建てられました。

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鐘楼です。

金剛峯寺の前身であります青巌寺の鐘楼です。

桁行・三間、梁行・二間、袴腰付入母屋造りの形式で、県指定文化財となっています。

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参道には、このように石畳の両側に杉が置かれております。なぜなのか云われはわかりません。

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では、拝観入口から見学致しましょう。主殿は撮影禁止です。

ここ新別殿は、撮影可能でした。

鉄筋コンクリート造りですが、本山の荘厳に合わせて入母屋の荘重なもので、91畳と78畳の二間からなっており、

参拝者の休憩所としてお茶の接待をさせていただいており、僧侶の法話も随時行われています。

このお部屋の入口でお菓子をいただきました。 

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中島千波さんの「桜の間障壁画」です。  このお部屋の展示物は撮影可能なんです。
 
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桜の花をアップしてみました。

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こちらもアップして・・・

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このような絵もありました。

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では、次は・・・・・・・金剛峯寺 その2です。

つづく・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛




ご朱印です。

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世界遺産 高野山  金剛峯寺 その2 & 女人堂

こんにちは。



北欧4カ国周遊も終わりに近づいてまいりました。

結局、コペンハーゲンの自由行動は、運河クルーズをいたしまして、ショッピングもしまして、

夕食は、他の方とピザ・ペンネ・ラザニア等を頂きました。

しっかりと、北欧料理は堪能いたしましたので・・・・・





「世界遺産 高野山  金剛峯寺 その2 & 女人堂」


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続きより・・・・

別殿の廊下より庭園を観る事ができます。 写真撮影は大丈夫との事です。

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蟠龍庭 (ばんりゅうてい)です。

弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級を誇っています。

雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。

龍を表す石は、お大師さまご誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。

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この建物は、奥殿[非公開](おくでん)です。  庭園の中にございます。

貴賓室で、昭和9年(1934年)の弘法大師御入定・1100年御遠忌の際に建てられました。

襖絵は石崎光瑤画伯の大作で「雪山花信」の題によりヒマラヤとヒマラヤシャクナゲの風景が描かれています。

この奥殿に、秋篠宮殿下と妃殿下の紀子様が宿泊されているようでした。

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庭園の中にある門、勅使門です。

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別殿から奥殿へ行く廊下ですが、進入禁止でございます。

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枯山水小庭も見ました。

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ここにも、天水桶がございます。 火の用心ですね。

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見学コースは、主殿に入り、撮影禁止となりました。

お台所もあり(もちろんですが・・)整理整頓されていて、柱や梁も煤で真っ黒になっています。

水飲み場は湧き水を高野槇の水槽に溜め(すごい殺菌力)、天井からつり下ろした台には食物が保存されていました。

天井からつることで風通しをよくし、さらに紙を垂らすことによってネズミの侵入を防いでいました。

一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいました。

やっぱり、台所は気になる場所ですね。


見学も終わり、このような参拝記念のお品を頂きました。

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ここの前を歩いて・・・常喜院です。

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かわいい地蔵さんを見て・・・・・

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この前も歩き・・・増福院です。   そしてタクシーに乗ります。

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ここへとやって参りました。  本来はここが・・・・石柱がございました。

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この石柱門と隣に、女人堂がございます。

ええーーー本来の建物は、こんなに斜めにはなっておりません。

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女人堂の説明でございます。

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ここでも、ちゃんとお参りをいたしまして・・・

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この隣にこのような祠もございます。  小杉明神社です。

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こちらの説明でございます。

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これより、高野山をあとにして・・・・・・



では、次は、丹生都比売神社です。

つづく・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛


世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道  「丹生都比売神社」

こんにちは。



世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道  「丹生都比売神社」



丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)

紀ノ川より紀伊山地に入り標高450mの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられます。

天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞 にうだいみょうじんのりと 』によれば、

丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで稚日女命 わかひるめのみこと とも申し上げ、

神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。

別称として「天野大社」「天野四所明神」とも呼ばれ、全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社です。


秋篠宮殿下と妃殿下の紀子様は、5月20日午後にご参拝されており、その後高野山金剛峯寺に行かれております。




本日の日程では、こちらの参拝予定はございませんでした。

ただ、皆さんの行動がきっちりとしてまして、時間が取れたので、急遽参拝させて頂く事になりました。

「にうつひめじんじゃ」に行きますと云われた時は、情報の少ない私は???でございました。

連れて行って頂ける・・・有難い事ですね。




紀伊国一之宮


こんな標識を見て・・・・「丹生都比売神社」って分かった次第でした。

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駐車場からも、この赤い橋が目立ちます。

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案内図もありました。

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外鳥居です。

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正面から・・・

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鏡池にかかった輪橋です。

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急な勾配の橋でございます。

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中鳥居です。

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国の重要文化財の楼門です。

室町時代の造営で、三間一戸の入母屋造で、檜皮葺です。左右に拝殿があります。

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つい神社だと忘れて・・・・今までと同じように・・・・お参りを・・・・思い出しました。

二礼二拍手一礼ですよね。

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本殿は、門の奥にあり、第一殿から第四殿の4棟からなっております。

楼門奥の最上段に向かって右手から第一殿・第二殿の順で一列に並び、第四殿のさらに左手には若宮が鎮座しています。




次は、慈尊院です。

つづく・・・・・・・



最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛




ご朱印です。

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世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道  慈尊院 (女人高野・結縁寺)

こんにちは。



世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道  慈尊院 (女人高野・結縁寺)



高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、

一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。

齢となった空海の母・阿刀氏は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようと

やって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、この政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を信仰していました。

空海はひと月に9度は必ず20数kmに及ぶ山道を下って母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名だそうです。



三門です。

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多宝塔です。本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。

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弥勒堂です。

大師の母の住居だったといわれる 弥勒堂。ご本尊様は弥勒仏で、国宝で秘仏です。

桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。

内部の写真撮影は禁止でした。

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本堂(拝殿)です。

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大師堂です。

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あ~ら、ここをお参りしたら・・・・残念だったわね(笑)

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訶梨帝母尊です。一般的には鬼子母神(きしもじん)と呼ばれております。

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この階段を登ると・・・・・丹生官省符神社だそうです。    登っておりません・・・・

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この石仏は石碑か・・・・???

うしろの土塀は、築地塀を云い、境内の周囲3方約250mにわたっています。

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これにて、「四国八十八ヶ所霊場めぐり」と「世界遺産 高野山 満願報告」を完結したいと存じます。

多くの皆様にアクセスして頂き、感謝申し上げます。

ひとえに皆様のおかげで、この長い記事を書き上げる事が出来ました。



あとは・・・・おまけと言う事で、増えたお土産のお話を少し日にちを開けて、用意出来次第書き上げたいと思います。

そして、各札所の記事に、ご朱印とご本尊が描かれた「御影」の写真を追記したいと思っております。



この記事を書き上げるために、そして現地での情報を「ヒゲ爺の独り言」のブログさんには大変お世話になりました。

ありがとうございました。




最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。

南無大師遍照金剛




ご朱印です。

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御影です。

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