こんにちは。参拝も全ておわりましたので、山門へ戻りましょう。鐘楼です。観世音菩薩と大勢至菩薩です。三十三所堂です。英霊堂です。英霊堂前の灯籠も・・・経堂です。手水舎まで戻ってきました。あと少し・・・ここまで来ると、手も痛み出し・・・早く冷やさないと・・・放水池の地蔵堂でしょうか?そのお堂が・・・やっと山門が見えてきました。やっと参道に戻ってきて、自販機で冷たい水を購入して・・・手を冷やしながら固定...
こんにちは。6月8日、本来ならビジネスクラスでヨハネスブルクまで飛んでるはずなんですが・・・アクシデントでキャンセル。やっぱ、今の状況考えると、キャンセルしたのが正解だったようです。まぁ、いつか行こうかねぇ~~~最後に、本堂の裏側にあるお堂を参拝いたします。聖天堂の前を通りながら・・・阿弥陀堂へと参ります。ちょっと暗い感じのお堂です。こんな物が置かれておりましたので、私も1枚購入致しました。このお...
こんにちは。本堂で参拝して、笈摺堂で参拝して・・・いよいよ満願堂で参拝いたします。キツい勾配の階段33段を上って行かねばなりません。谷汲山華厳寺は西国三十三ヶ所満願の寺ですが、現実には巡礼の最後に参拝する寺とは限らず、華厳寺を最初に参拝する人もいらっしゃるようです。私は、やっぱり満願のお寺は最後が良いと考えましたが・・・本尊は十一面観世音菩薩で、周囲には「満願」の文字の刻まれた狸の石造が並んでおり...
こんにちは。本堂を参拝いたします。入母屋造、正面五間、側面四間の外陣部の奥に、棟を直行させて内陣部が接続しております。ご本尊は十一面観世音菩薩、脇侍として不動明王像と毘沙門天像を安置されております。境内図です。山門から真っ直ぐに平坦な参道や階段を上り・・・ただ・・・手の状態がどんどん悪くなって・・・写真撮ってる余裕も少なくなって・・・本堂の写真は少ないのよね。本堂の扁額です。本堂外陣を・・・ご本尊...
こんにちは。 ご朱印は3つございます。その由来は、本堂のご朱印は「大悲願」と書かれていて、現世を表しております。御詠歌 世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけりそして、満願堂の過去世です。御詠歌 万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 最後は、笈摺堂の未来世です。御詠歌 今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎ納むる 美濃の谷汲 岐阜県の「たにぐみさん」の愛称で親しまれる当...
こんにちは。本堂の参拝を終えた後は、参道に点在してる社や祠を見て回りましょう。本堂の横には、非常に多くの石積みの山がありまして、仏像やらが・・・・ちょっとアップして・・・縁結びの橋だそうです。縁結地蔵様が祀られておりますよ。縁結地蔵様の横には、水盤の上に観音様がいらっしゃいますね。源平池と言って、たぶんハスの花が咲くのでしょうね。何のための石積みなのか分かりませんが、所々に観音様がお立ちになってお...
コメントありがとうございます。
笑う事は良い事だとテレビでも言っておりました。
笑うとNK細胞が増えて、悪いウイルスをやっつけてくれるようですね。
自律神経も良くなるようですので、笑って過ごしていきましょう。
応援ありがとうございます。
こんにちは。滋賀県近江八幡市安土町にございます「観音正寺」安土と言いますと・・・・安土城、この繖山には観音寺城がありまして、隣の小高い山に安土城があったようです。鎌倉・室町時代には近江守護の六角氏が庇護して、日本五大山城に数えられる山城「観音寺城」の跡がございます。前世で漁師をしていて、人魚になってしまたので、お寺を建てて成仏させて」と言う願いを聖徳太子が聞き入れて・・・なんか不思議な伝説が残って...
こんにちは。近江国は、日本のほぼ中央に位置して、その近江国でもまた中央、すなわち日本の「臍」ともいうべき要衝に位置するのが、標高432.9mの繖山(きぬがさやま)、別名観音寺山であります。西国三十二番札所・観音正寺は、貴人にさしかざす衣蓋(きぬがさ)のようにふんわりとした美しい山容から名付けられたこの繖山の山中にひっそりと佇んでいます。1400年前に聖徳太子により開創されました。推古天皇の御代、近江国を遍...
こんにちは。日本最古の巡礼といわれる「西国三十三所観音巡礼」を最初に始めたのは徳道上人です。それからおよそ270年後、西国三十三所観音巡礼を有名にしたのが、平安時代中期の花山法皇なのです。花山法皇が隠棲生活を送ったのが、こちらの花山院です。花山法皇は、藤原兼家の謀略によって2年で出家してしまいます。わずか17歳の時で、41歳で当山で生涯を閉じたそうです。また、花山法皇を慕って弘徽殿女御と11人の女官た...
こんにちは。薬師堂の説明書きです。まずは、この地図から・・・月見亭から薬師堂へ、そして仁王門へと戻ります。月見亭です。コチラも説明書きにて・・・月未亭の前にも、湧水(霊水)がございます。手水舎です。薬師堂です。扁額です。薬師如来様です。堂内を・・・ちょっと変わった十二神将様がいらっしゃいますよ。東京藝術大学大学院教授で彫刻家の籔内佐斗司先生作なのですが・・・・奈良県の「せんとくん」の作者なのです。...
こんにちは。上の写真は、根本中堂です。昼食を頂いた後は、講堂を通り・・・階段を登りです。地蔵堂です。地蔵堂の説明書きはコチラからね。扁額です。ちょっと覗いて・・・階段上には根本中堂が見えますが・・・このような社も見えましたが・・・鐘楼です。鐘楼の説明書きです。ちょっと手抜きです~~鐘を見上げてみました~~鐘の音は、播磨、丹波、摂津の国に響き渡り、開運の鐘と言われています。鐘を撞く事ができますので、...
コメントありがとうございまs。
こちらこそ、ありがとうございます。
勝手に貼り付けておりまして・・・
毎回、美味しそうなお料理を楽しみにしております。
応援、もちろんさせて頂きますよ~~~
今後とも、宜しくお願い致します。
こんにちは。大講堂から本坊へ移動いたします。本坊で昼食を頂きます。本坊の客殿は、登録有形文化財に指定されております。大正6年、京大武田五一博士の設計により、山上の材木(杉)にて建築。清水寺の庫裏で寺務所はこの中にあり、昼食等で利用できます。大講堂から階段を降りて、本坊に到着します。坂上田村麻呂は、こちらのお寺さんに、聖者大悲観音の霊験により、鈴鹿山の鬼神退治を遂げた報謝として佩刀騒速と副剣2振を奉...
こんにちは。清水 東条湖県立自然公園内に位置し、法道仙人の開基、西国二十五番札所海抜500mの山上にあり、六甲の山並み、瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋、家島、四国等を見渡すことが出来ます。また四季を通じて、東条湖、立枕焼、篠山散策等を回遊して訪れる人が多いそうです。インドから渡来した伝説的な僧、法道仙人が約1800年前にこの地を訪れ、鎮護国家豊作を祈願したのが始まりで、推古天皇35年(627年)に勅願により、根本...
こんにちは。ロープウェイの山上駅まで、戻らないといけません。行きは、マイクロバス(往復500円)に乗ってきましたが、帰りはその権利を放棄して、歩いて戻ります。だって、参道を歩かないと・・・山門も見る事が出来ませんし・・・・湯屋橋を渡ります。湯屋橋の説明です。コレなら読めるかしら!大きな杉の巨木と変わった枝の樹を・・・弁慶のお手玉です。いくら何でも・・・お手玉とは・・・お手玉は別名でして・・・コチラ...
こんにちは。昨日は、「ブルームーン」でしたね。サクラと共に・・・地図の「三之堂」へと参ります。ここは、映画やドラマのロケ地として有名な場所です。トム・クルーズの「ラストサムライ」やNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」等、大きな伽藍、歳月を感じる重厚な建物がセットとして使われております。西の比叡山と称されるほどの古刹、名刹でありながら静寂を保った境内は、自然も多く残されていて、時代劇を撮影するのにうって...
歴史のある建物ですねぇ~!
ラストサムライは見ましたがそのシーンを覚えていない!んですよ。
右手だけで打ち込むのは大変ですよね・・。
そう簡単には良くなりませんがお腹がすく!これは良いことだと思います。^^
コメントありがとうございます。
このお寺では、トム・クルーズと渡辺謙が英語で挨拶したり、渡辺謙と真田広之がトム・クルーズを斬るかの相談をしたとか、
トムクルーズが縁側で大の字になって寝てるシーンがありますよ。
はい、片手だと・・・たまに左手の親指と人差し指を使うと・・・Caps Lockキーを押してしまいます。
お料理が出来ないので、総菜、弁当、外食が多くなり・・カロリー高いし、エンゲル係数もうなぎ上りです。
こんにちは。続きです。官兵衛の進言により、豊臣秀吉が毛利攻めの時、本陣を置いた西の比叡山「書寫山 圓教寺」観音堂である摩尼殿。性空上人が桜の木に天人が礼拝する姿を見て、生えている桜の木に如意輪観音を刻み、その周囲に柱を建て、屋根を付けたのがこの摩尼殿の始まりだそうです。内陣に造り付けの大厨子は5間に分かれ、向かって左側の間から広目天、増長天、如意輪観音(本尊)、多聞天、持国天の各像を安置されてい...
こんにちは。約一千年前に(康保3年)性空上人が、霊地を探して紫雲がかかっている書写山を見て、この山に入り康保3年(966年)に草庵を開かれ、西の比叡山とし言われるようになりました。摩尼殿(本尊如意輪観世音菩薩)は西国第二十七番の霊場として、今も全国から参詣者多く、その信仰の中心です。境内は史蹟に指定され、重要文化財も二十数件、数百年の樹林に囲まれ深厳そのもでした。花山法皇は二度もここを訪れ、後白河法皇、後醍...
こんにちは。一乗寺の続きとなります。手水舎です。本堂から見た三重塔です。では、本堂の外周廊下を通り・・・外陣です。本堂の一部の扁額です。本堂は、重要文化財で、大悲閣または金堂とも言われます。入母屋造、本瓦葺き、正面九間、側面八間の大きな本堂なのです。内陣には三間の大厨子を置き、中央の間に本尊聖観音立像(重要文化財)、左右の間には不動明王と毘沙門天像を安置するが、いずれも秘仏です。外陣の天井には、千...
こんにちは。多くの皆様にご心配をおかけいたしまして、そして励ましのお言葉を頂きありがとうございます。ボチボチですが、西国三十三巡りの記事をアップして行きたいと思います。手の固定は3~4週間、完治に3~4ヶ月かかりそうですから・・・境内図です。兵庫県加西市にあるお寺さんです。この寺を開いたとされる法道仙人は念持仏、仏舎利と宝鉢だけを持ってインドから雲に乗って渡来したそうです。八葉蓮華(8枚の花弁をも...
こんにちは。京都府亀岡市にあるお寺さんです。穴太寺のある亀岡は「丹波国」に属していて、戦国時代の丹波国の領主が明智光秀です。慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立されたと伝えられる丹波でも屈指の古刹です。 庭園は多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園もございます。安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守御本尊をおまつりしています。第2...
こんにちは。日本一の松 神経痛・腰痛の祈願所 入学成就の祈願所、 徳川五代将軍綱吉生母、桂昌院ゆかりの京都西京区のお寺です。比叡山の僧源算が長元2年(1029年)にこの地に小堂を建て、十一面千手観世音菩薩像を刻み本尊としたのが当寺の開創と伝えられています。白河天皇が諸堂を建設し、後に、後花園天皇が伽藍を改築、大いに栄えたが、応仁の乱により、これら全てを焼失したようです。そして、元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生...
こんにちは。革堂行願寺は一千年の歴史をもつ京都のお寺です。創建当時は一条通りにありました。戦乱や火災でいくたびも焼け、場所を替えつつも、人々の熱烈な信仰によってつねに都の中心部に再建されました。西国三十三観音霊場唯一の尼寺札所なのです。開祖の行円上人がまだ俗人だった頃、狩りで鹿を射止めたのですが、その鹿が死ぬ間際に子供を産み落とし、殺生したことを後悔した上人は仏心を起こし、出家したそうです。いつも...
こんにちは。聖徳太子が創建したという寺ですが、室町時代からは町衆とのかかわりが深い町堂にもされました。本堂が六角の建物なので六角堂と呼ばれ、華道家元・池坊でも知られています。いけばな発祥の地でもございます。昔からここが京都の真ん中といわれ、その証拠品という「へそ石」が境内に残っておりますよ。京都の真ん中と云う事で、中京区六角通りにございます。聖徳太子は、四天王寺建立の用材を求め、この地を訪れたとき...
こんにちは。桓武天皇の孫にあたる遍照は仁明天皇の崩御に従い出家し、延暦寺で仏門に入り、貞観11年(869年)に華山寺を創建されました。開祖は、遍昭僧都で小倉百人一首の「天つ風雲の通い路吹きとじよをとめの姿しばしとどめむ」の作者です。そして、桓武天皇の孫だそうです。西国霊場中興の祖の花山天皇が、寛和2年(986年)19歳のときに出家し花山法皇となったのが、元慶寺なのです。番外 「華頂山 元慶寺」ご本尊 ...
こんにちは。京都市東区にあるお寺さんで、近くには六道の辻がございます。醍醐天皇の第二皇子光勝空也上人は、当時京都で流行していた悪病を退散させるため、十一面観世音菩薩を刻み、天暦5年(951年)に堂を建て、この観音像を祀ったとされ、これがこの寺の創始と伝えられているそうです。平清盛をはじめ平氏の邸館や鎌倉幕府の探題も置かれ、源平盛衰の史跡の中心だったようです。第17番 「補陀洛山 六波羅蜜寺」ご本...
こんにちは。集合時間も迫ってきましたので、そろそろ仁王門へと引き返します。もう12月の事でして・・・記憶も定かではなくなり・・・間違ってるまも?・・です!!本堂にありました「出世大黒天」です。仕事運や金運が上がる霊験高き大黒様ですよ~~弁慶の下駄と錫杖です。大きい方は長さ2.6m重量96k、小錫杖は長さ1.76m重量17kだそうです。片手で持ち上げられれば、願いが叶うそうです。(女性は小さい方、男...
こんにちは。あまりにも有名な京都・清水寺は「清水の観音さん」「清水の舞台」「音羽の滝」で内外に知られています。 「清水寺」の寺名は音羽の滝の清泉にちなむとの事。清水寺の開創は778年、遡ること1200年余です。奈良で修行を積んだ僧、賢心の夢に白衣の老翁があらわれ「北へ清泉を求めて行け」とお告げをしたことが清水寺の始まりです。京都・東山連峰の一つ、音羽山の中腹に建つこの寺院には、大慈大悲をあらわす観音さまを...
こんにちは。京都にあるお寺さんです。御本尊は弘法大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であります。 後白河上皇は、当山を深く信仰されて新那智山と号し、今熊野観音寺と称されました。後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたそうです。枕カバーが売っておりますよ。第31番 「新那智山 ...
こんにちは。その3です。やっと西国14番札所である観音堂へとやって参りました。よく歩いたものです。これだけ広いと、全ては周りきれません。参道には色々な観音菩薩様がいらっしゃいます。右側が、衆宝観音」は三十三観音の一つで、衆宝とは人が求める財宝のことで、この観音を信仰すれば財宝がたまり、福徳を授けられ出世がかなうとの事、隣が、童観音菩薩です。重要文化財の毘沙門堂です。極彩色の荘厳された建築です。十八...
こんにちは。三井寺のその2からです。弁慶の引摺り鐘が霊鐘として祀られている霊鐘堂です。こちらも、重要文化財なんです。弁慶の汁鍋もございます。奈良時代の梵鐘で、佐藤太秀郷が龍神に頼まれ三上山の大百足を退治したお礼に竜宮からもらって、園城寺に寄進したという伝説がございます。重さは三井の晩鐘と同じ2250kg、そして口径123.2cm、高さ199.1cmです。園城寺と比叡山との間で争いが起こったときに、弁慶がこの鐘を分捕り...