2018-03-15 (Thu)✎
こんにちは。

京都府亀岡市にあるお寺さんです。
穴太寺のある亀岡は「丹波国」に属していて、戦国時代の丹波国の領主が明智光秀です。
慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立されたと伝えられる丹波でも屈指の古刹です。
庭園は多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園もございます。
安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守御本尊をおまつりしています。
第21番 「菩提山 穴太寺」
ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声
まずは・・・・・ランチを・・・覚え書きとして・・・

お参り中にも関わらず・・・・キムチ鍋が・・・・

仁王門です。
江戸時代中期再建されて、京都府登録文化財なのです。
この仁王門は、日光の輪王寺から譲られたものとか・・・

仁王様をアップします。


石柱です。

お寺さんの説明書きです。


鐘楼です。
京都府登録文化財です。

手水舎です。

京都府指定文化財の本堂です。
保13年(1728年)の火災から7年後の享保20年に再建された、入母屋造、本瓦葺の建物です。

拝所です。
昔の千社札がいっぱい貼られており、古寺の趣です。
内陣の厨子の中には本尊の薬師如来と札所本尊の聖観世音菩薩が安置されております。
本尊の薬師如来は厳重な秘仏であり開帳されたことはないそうで・・・
聖観世音菩薩は昭和43年に盗難に遭い行方不明になったとの事で・・・・

扁額です。

こちらは、鎮守の道真公にちなんだ寺紋「梅鉢紋」の窓になっています。

本堂右脇壇には布団をかけられて寝ているいるお釈迦さま、「涅槃釈迦如来」が祀られています。
写真撮影禁止ですのでありませんが、触る事が出来て、健康を願ってきました。
ビンズル様もいらっしゃいました。

観音堂です。
西国札所のお砂が納められているそうです。

書院です。
中央に、金縁に雲龍水墨の衝立があったそうですが・・・

梅はまだ蕾みです。

多宝塔です。
内部には釈迦如来、多宝如来が安置されています。

地蔵堂です。
お地蔵様が1000体も祀られてるそうです。

宇治宮成の墓です。
当地曽我部郷の郡司、宇治宮成が京都の仏師感世に聖観世音菩薩像の制作を依頼し、
聖観世音菩薩像完成後、宮成が感世に礼を渡したが、宮成はその礼物を渡すのが惜しくなり、
京都に帰る仏師を待ち伏せして矢を射ったそうです。
翌日、仏師感世が生きているのを知り、自分の放った矢が観世音菩薩像の胸に突き刺さっているのを見た宇治宮成は、
自分の行いを悔い、仏門に入りその観世音菩薩像を本尊として祀ったというお話です。

アップしてみます。
意外と小さなお墓ではないでしょうか。

鎮守堂です。
寺の鎮守の神様、菅原道真公を祀っています。
左には、お稲荷さんが祀ってあります。

お参りを終えて・・・・山門から本堂を見てみました。

残念な事に、江戸中期の池泉築山式の庭園は「冬期は公開してません」と・・・・
続きます。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
ポチンとして頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村

にほんブログ村


京都府亀岡市にあるお寺さんです。
穴太寺のある亀岡は「丹波国」に属していて、戦国時代の丹波国の領主が明智光秀です。
慶雲二年(七〇五)の文武天皇の御世に大伴古磨によって創立されたと伝えられる丹波でも屈指の古刹です。
庭園は多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園もございます。
安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守御本尊をおまつりしています。
第21番 「菩提山 穴太寺」
ご本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声
まずは・・・・・ランチを・・・覚え書きとして・・・

お参り中にも関わらず・・・・キムチ鍋が・・・・

仁王門です。
江戸時代中期再建されて、京都府登録文化財なのです。
この仁王門は、日光の輪王寺から譲られたものとか・・・

仁王様をアップします。


石柱です。

お寺さんの説明書きです。


鐘楼です。
京都府登録文化財です。

手水舎です。

京都府指定文化財の本堂です。
保13年(1728年)の火災から7年後の享保20年に再建された、入母屋造、本瓦葺の建物です。

拝所です。
昔の千社札がいっぱい貼られており、古寺の趣です。
内陣の厨子の中には本尊の薬師如来と札所本尊の聖観世音菩薩が安置されております。
本尊の薬師如来は厳重な秘仏であり開帳されたことはないそうで・・・
聖観世音菩薩は昭和43年に盗難に遭い行方不明になったとの事で・・・・

扁額です。

こちらは、鎮守の道真公にちなんだ寺紋「梅鉢紋」の窓になっています。

本堂右脇壇には布団をかけられて寝ているいるお釈迦さま、「涅槃釈迦如来」が祀られています。
写真撮影禁止ですのでありませんが、触る事が出来て、健康を願ってきました。
ビンズル様もいらっしゃいました。

観音堂です。
西国札所のお砂が納められているそうです。

書院です。
中央に、金縁に雲龍水墨の衝立があったそうですが・・・

梅はまだ蕾みです。

多宝塔です。
内部には釈迦如来、多宝如来が安置されています。

地蔵堂です。
お地蔵様が1000体も祀られてるそうです。

宇治宮成の墓です。
当地曽我部郷の郡司、宇治宮成が京都の仏師感世に聖観世音菩薩像の制作を依頼し、
聖観世音菩薩像完成後、宮成が感世に礼を渡したが、宮成はその礼物を渡すのが惜しくなり、
京都に帰る仏師を待ち伏せして矢を射ったそうです。
翌日、仏師感世が生きているのを知り、自分の放った矢が観世音菩薩像の胸に突き刺さっているのを見た宇治宮成は、
自分の行いを悔い、仏門に入りその観世音菩薩像を本尊として祀ったというお話です。

アップしてみます。
意外と小さなお墓ではないでしょうか。

鎮守堂です。
寺の鎮守の神様、菅原道真公を祀っています。
左には、お稲荷さんが祀ってあります。

お参りを終えて・・・・山門から本堂を見てみました。

残念な事に、江戸中期の池泉築山式の庭園は「冬期は公開してません」と・・・・
続きます。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
ポチンとして頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村

にほんブログ村

スポンサーサイト