2015-07-17 (Fri)✎
こんにちは。
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 慈尊院 (女人高野・結縁寺)
高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
齢となった空海の母・阿刀氏は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようと
やって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、この政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を信仰していました。
空海はひと月に9度は必ず20数kmに及ぶ山道を下って母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名だそうです。
三門です。


多宝塔です。本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。

弥勒堂です。
大師の母の住居だったといわれる 弥勒堂。ご本尊様は弥勒仏で、国宝で秘仏です。
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。
内部の写真撮影は禁止でした。

本堂(拝殿)です。

大師堂です。

あ~ら、ここをお参りしたら・・・・残念だったわね(笑)


訶梨帝母尊です。一般的には鬼子母神(きしもじん)と呼ばれております。

この階段を登ると・・・・・丹生官省符神社だそうです。 登っておりません・・・・


この石仏は石碑か・・・・???
うしろの土塀は、築地塀を云い、境内の周囲3方約250mにわたっています。

これにて、「四国八十八ヶ所霊場めぐり」と「世界遺産 高野山 満願報告」を完結したいと存じます。
多くの皆様にアクセスして頂き、感謝申し上げます。
ひとえに皆様のおかげで、この長い記事を書き上げる事が出来ました。
あとは・・・・おまけと言う事で、増えたお土産のお話を少し日にちを開けて、用意出来次第書き上げたいと思います。
そして、各札所の記事に、ご朱印とご本尊が描かれた「御影」の写真を追記したいと思っております。
この記事を書き上げるために、そして現地での情報を「ヒゲ爺の独り言」のブログさんには大変お世話になりました。
ありがとうございました。
最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。
南無大師遍照金剛
ご朱印です。

御影です。

世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 慈尊院 (女人高野・結縁寺)
高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
齢となった空海の母・阿刀氏は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようと
やって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、この政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を信仰していました。
空海はひと月に9度は必ず20数kmに及ぶ山道を下って母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名だそうです。
三門です。


多宝塔です。本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。

弥勒堂です。
大師の母の住居だったといわれる 弥勒堂。ご本尊様は弥勒仏で、国宝で秘仏です。
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。
内部の写真撮影は禁止でした。

本堂(拝殿)です。

大師堂です。

あ~ら、ここをお参りしたら・・・・残念だったわね(笑)


訶梨帝母尊です。一般的には鬼子母神(きしもじん)と呼ばれております。

この階段を登ると・・・・・丹生官省符神社だそうです。 登っておりません・・・・


この石仏は石碑か・・・・???
うしろの土塀は、築地塀を云い、境内の周囲3方約250mにわたっています。

これにて、「四国八十八ヶ所霊場めぐり」と「世界遺産 高野山 満願報告」を完結したいと存じます。
多くの皆様にアクセスして頂き、感謝申し上げます。
ひとえに皆様のおかげで、この長い記事を書き上げる事が出来ました。
あとは・・・・おまけと言う事で、増えたお土産のお話を少し日にちを開けて、用意出来次第書き上げたいと思います。
そして、各札所の記事に、ご朱印とご本尊が描かれた「御影」の写真を追記したいと思っております。
この記事を書き上げるために、そして現地での情報を「ヒゲ爺の独り言」のブログさんには大変お世話になりました。
ありがとうございました。
最後まで、お読み下さり感謝申し上げます。
南無大師遍照金剛
ご朱印です。

御影です。

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