2015-12-26 (Sat)✎
こんにちは。
神戸散策を終えて、3日目は姫路へと移動致しました。
天気は、晴れ~~~~~~やっと晴れ~~~
世界文化遺産でもあり、国宝でもあり、特別史跡姫路城跡でもあります。
天を突くように威風堂々とそびえる白く輝く大天守。
その圧倒的な姿は、白鷺が舞い立つようです。
難航不落の城と言われ、戦いへの知恵を秘めた美しい仕掛けがあちこちと見受けられます。
現在の姫路城は慶長6年(1601年)から8年の歳月をかけ池田輝政が建てたものですが、
一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男、貞範(さだのり)です。
応仁の乱後、黒田官兵衛が姫路城の城主になりました。
そして、羽柴秀吉が入城して、色々と城主が交代していきました。
この「さくらもんばし」から始まります。


大手門です。

大手門の家紋です。
池田家の官位を表す家紋として五七の桐紋です。
池田家の家紋「揚羽」だと思ってましたが・・・
姫路城の桐紋は五三、五七にかかわらずほとんどが池田家のものだそうです。

な~~んか斜塔になってるような・・・

三の丸に入った所でございます。

姫路城のゆるキャラでしょうか!!

ぐる~~~と歩き・・・今度はちゃんと撮ってみましたが・・・・・なんかヘン???

案内図でございます。


天守の庭です。
大天守の人工地盤建設にあたり、不用となった礎石で平面形で再現展示したものです。
姫路城建設時は、柱は礎石の上に立てましたが、あまりにも重いので地盤沈下しました。
昭和の大修理で、鉄筋コンクリートで人工地盤を作ったので不用となった礎石です。

菱の門です。
入場口から入って一つ目の門で櫓門です。
2階に見える3種類の窓が有名です。


菱の門をくぐると、このような景色が現れました。
見る場所によって、お城は色々な顔になりますね。

三国堀です。
四角い堀でして、要所をおさえる重要な位置にあります。

頂いたパンフレットと一緒に・・・入場料は大人1000円です。

城を築くときに、水を確保する必要があります。
その為の井戸が、城内に33ヵ所あったそうです。

いの門です。
城内には、いろはにほへと・・・と門が名づけられております。

いの門の瓦をアップしてみました。
池田家の家紋「揚羽蝶」です。

天守閣へと進みます。

ここまで敵が攻めてくるには大変だったろうと思います。
至る所に、狭間や石落としがあります。

狭間(さま)です。
敵に対して、この穴から攻撃をいたします。
三角と丸は鉄砲用で、四角は弓用だそうです。
狭間は天守と土塀を合わせて約500個ほど残っているそうです。

続きは、No.2へ・・・・No.5まで続きます。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
宜しければ、ポチンとお願い申し上げます。

神戸散策を終えて、3日目は姫路へと移動致しました。
天気は、晴れ~~~~~~やっと晴れ~~~
世界文化遺産でもあり、国宝でもあり、特別史跡姫路城跡でもあります。
天を突くように威風堂々とそびえる白く輝く大天守。
その圧倒的な姿は、白鷺が舞い立つようです。
難航不落の城と言われ、戦いへの知恵を秘めた美しい仕掛けがあちこちと見受けられます。
現在の姫路城は慶長6年(1601年)から8年の歳月をかけ池田輝政が建てたものですが、
一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男、貞範(さだのり)です。
応仁の乱後、黒田官兵衛が姫路城の城主になりました。
そして、羽柴秀吉が入城して、色々と城主が交代していきました。
この「さくらもんばし」から始まります。


大手門です。

大手門の家紋です。
池田家の官位を表す家紋として五七の桐紋です。
池田家の家紋「揚羽」だと思ってましたが・・・
姫路城の桐紋は五三、五七にかかわらずほとんどが池田家のものだそうです。

な~~んか斜塔になってるような・・・

三の丸に入った所でございます。

姫路城のゆるキャラでしょうか!!

ぐる~~~と歩き・・・今度はちゃんと撮ってみましたが・・・・・なんかヘン???

案内図でございます。


天守の庭です。
大天守の人工地盤建設にあたり、不用となった礎石で平面形で再現展示したものです。
姫路城建設時は、柱は礎石の上に立てましたが、あまりにも重いので地盤沈下しました。
昭和の大修理で、鉄筋コンクリートで人工地盤を作ったので不用となった礎石です。

菱の門です。
入場口から入って一つ目の門で櫓門です。
2階に見える3種類の窓が有名です。


菱の門をくぐると、このような景色が現れました。
見る場所によって、お城は色々な顔になりますね。

三国堀です。
四角い堀でして、要所をおさえる重要な位置にあります。

頂いたパンフレットと一緒に・・・入場料は大人1000円です。

城を築くときに、水を確保する必要があります。
その為の井戸が、城内に33ヵ所あったそうです。

いの門です。
城内には、いろはにほへと・・・と門が名づけられております。

いの門の瓦をアップしてみました。
池田家の家紋「揚羽蝶」です。

天守閣へと進みます。

ここまで敵が攻めてくるには大変だったろうと思います。
至る所に、狭間や石落としがあります。

狭間(さま)です。
敵に対して、この穴から攻撃をいたします。
三角と丸は鉄砲用で、四角は弓用だそうです。
狭間は天守と土塀を合わせて約500個ほど残っているそうです。

続きは、No.2へ・・・・No.5まで続きます。
最後まで、お読みいただき感謝申し上げます。
ありがとうございます。
宜しければ、ポチンとお願い申し上げます。

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Re: No title * by ヒツジのとっとちゃん
こんにちは。
コメントありがとうございます。
確かに・・・地盤沈下で~~~す。
私が登る前に、地盤沈下・・・・私のせいではございません。
築城の際、やっぱり傾いてるとの事で・・・
大工の棟梁がお城から身投げをしたと言う事がありますので、
祟りだぁ~~~
コメントありがとうございます。
確かに・・・地盤沈下で~~~す。
私が登る前に、地盤沈下・・・・私のせいではございません。
築城の際、やっぱり傾いてるとの事で・・・
大工の棟梁がお城から身投げをしたと言う事がありますので、
祟りだぁ~~~
姫路城良いですよね!
でも、確かに傾いてる!!!